あまり空気を読まずに書いております。
そこを理解して読んでいただけると助かります。
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Peer to Peer(Wikipediaより)
Peer to Peer(以下P2P、どちらもピアツーピアと読む)は WinnyやWinMXに代表されるネットワークの形態のひとつである。 一般ユーザレベルではデジタル化可能なものならば何でもタダで手に入る非常に便利なシステムといった認識だろうか(無論、著作物を許可なくP2P上に流すことは違法である)。 実は(純粋な)P2Pには隠れた効果がある。 それは一度P2Pシステム上に流れたデータは消すことが出来ないという点である(システムによって細かく違うが)。 流れたデータを消すためにはシステム全体を停止させるしかない。 しかしそんなことは出来ないので消すことは不可能という話になる。 これは以下のことを意味する。 あるデータの寿命はP2Pシステム上に流した瞬間にP2Pシステムの寿命と同じになる。 こういったことから2chでデータを永久保存したいなら P2Pに流すのがよいという冗談がでたりした(DVDは3年で読み込みが出来なくなる例もある)。 PR
ディープ・ブルー(Wikipedia)
私は人工知能の研究をしている。 そういうとロボットの人格を作るのか?と言われそうだがそうではない。 私が属している研究分野の人間は そういったことにあまり興味はないようだ。 「人間よりも仕事がよくできるコンピュータを作りたい」 これが目標のようだ。 ここでのポイントは道具の域を越えないという点である。 簡単なテーマから難しいテーマへ 今は将棋や囲碁などの比較的ルールがはっきりしたものを扱っているが、 いずれは「これは人間でないと無理だろう」という分野に進出する。 それは芸術だったり、コミュニケーションだったり、 仕事そのものだったり(今でもエクセルのような仕事を補佐するものはあるが)、 政治だったりする。 その際に反感を受けることはこれまでの(チェスなどの)例を見れば容易に想像できる。 「できるはずがない。仮にできたとしても人間にはかなわない。」 この台詞は強いチェスのコンピュータを作るという話があったときに 専門家が言っていたものだ。 それから約50年(Claude E. Shannonがコンピュータがチェスをプレイする論文を出したのが1950年)で世界チャンピオンの座を奪った。 そのときに言われた言葉の中に 「ただ深く先を読んだだけじゃないか。結局今でもコンピュータに知性はない。」 というものがあるが はじめから知性をもつコンピュータを創造しようとはしていない。 人間の知性に挑戦したのではない。 人間の(チェスに対する総合的な)処理能力に挑戦したのだ。 我々は道具を作っているだけなのに 人間と性能比べをするときにプライドを賭けてくるのだ。 ハンマーと手のどちらが釘をしっかりと打ち込むことができるのかというときに 人間の尊厳を持ってこられても困る。 我々はそういう印象を受ける。 ハンマーを作ったのも使うのも人間なのに。
戯音の耳はロバの耳ぃより
私にはイジメという単語はインプットされていません。 やわらかい表現に聞こえてしまうからです。 あなたがしたことは、恐喝、傷害、殺人未遂です(田村由美) どこかの掲示板で読んだのだが忘れたので適当にぐぐってリンクを張った。 イジメ、もしくはいじめという言葉は それだけで何をしたかがわかりにくい。 またちょっとした嫌がらせから自殺に追い込むものまで 扱う行為に大きな幅があることも特徴である。 そのあいまいさと良く使われるのが学校という場(子供がすること)であることから 恐喝などの具体的な行為に比べてやわらかいイメージがある。 この効果の恩恵を得るのは加害者である。 被害者にはなんの得もない。 例えば 「いじめられる側にも問題がある」という意見がある。 それは上述の幅の軽いものを想定している (その発言をする人物は少なくともそういう意図で話している)。 しかし「恐喝(または、傷害、殺人未遂)される方にも問題がある」と 行為を具体化すると被害者の落ち度は限りなく小さい印象になる。 結論:印象操作はだいじ
友人にそう問われたので回答すると
ある出来事があったときの素直な気持ちは、大抵の人間が同様だから フラれれば「悲しい(´;ω;`)ウッ…」だし、 年度の初めは「がんばろう(`・ω・´)シャキーン」だし、 理不尽なものにぶつかれば「ムカつく(#^ω^)ビキビキ」だし、 何か集団でするイベントがあれば「楽しかったー(´∀`*)ウフフ」だし、 ・・・・・(以下省略) 「いや、だからね、そういうのばっかりじゃないのよ、 年度の初め頑張ろうって思ってたけど▲▲なことがあって欝だったとかあるもの」 なんて指摘を受けそうなのであらかじめ予防線を張っておくと それは結局悲しいことがあったので 「悲しかった(´;ω;`)ウッ…」を言いたかったに他ならない。 このように考えるようになったきっかけは 面接の達人2008自己分析/エントリーシート編である。 この本にはエントリーシートが載せられており、 筆者がその添削をすると言ったものだ。 そこにNHK志望の人間が エントリーシートにNHKの福祉の番組を見た感想を書いていたが 筆者が「その番組を見たほとんどの人が感じるようなことを書いている」 と指摘していた。 何百何千も同じような文章を読ませられる 人間の気持ちになってほしいとも書いてあった。 上記の文章を読んだ人の一部から「人格否定をされた!!氏ね!!」 とか言われないための予防線: しかし、blogをmixiのような コミュニケーションツールとして利用するならば その限りではない。 コミュニケーションツールは文字通りコミュニケーションをとるためのツールなので 気持ちの共有という方向に向くのは当然のことである。
13才のハローワークに興味深い記事があった。
地球にやさしい、環境にやさしいという言葉は 他の生物や、地球の生態系の為に行われているように錯覚しがちだが 実際は異なると言ったものだ。 高濃度の酸性雨が降ろうと、 温暖化により南極の氷が溶け海面が上昇しようと 地球上の資源が枯渇し地上がごみ溜めになろうと 核戦争が起こり、地球が核の炎に包まれようが、 死滅する生物はいるだろうが、生き残る生物は存在する。 リサイクルだのハイブリッドカーだの、フロンを使用しないことは 他の生物や、地球の生態系のために行っているのではない。 それらは全て人類が人類のために行っているに過ぎない。 ここまでが上記の内容だが さらに言えば企業がやっきになって環境保全の取り組みを行うことには 企業イメージを向上させ商品を買ってもらうという狙いがある。 「環境にやさしい」という謳い文句があればそれだけで 購入に踏み切る者は確実に存在する。 その本質を考えることなく。 このような「よい言葉」は他に以下のようなものが存在する。
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パパ
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43
性別:
男性
誕生日:
1981/10/11
職業:
ネットワークエンジニア(のはず)
自己紹介:
すみませんが、mixiの方を見てください。
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