あまり空気を読まずに書いております。
そこを理解して読んでいただけると助かります。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 はてなより引用 引用開始 KY=空気(Kuuki)・読めない(Yomenai) の略。 空気を読めない人を差して使われる。 また、転じて「空気読め!」の意で、耳元で「KY」と囁くなどの用法もある。 反対語:KYR=空気(Kuuki)・読める(YomeRu) 引用終了この言葉を考えついた、人間、もしくは集団のアホなところは KYという略称では空気が読めるのか、読めないのかこの略称だけで判断できないところである。 空気読め・・・・・「る」のか、「ない」のかどっちなんだ!? 途中までで言葉をやめることで否定にも命令にも使えるのだろうが その理屈でいうと何でも略せることになる。 動詞の活用いらんじゃん(ノ∀`) 略称に多義性を持たせるなんてなんとややこしいことを考えたのだろう。 言葉の作者を適当に叩いたところで本題である。 KYという言葉はは全体主義の表れである。 日本になじみのある例を挙げるとそれは戦時中の国家総動員法下の状態である。 大雑把に言うと全体のために個人の権利、自由はささげるべしという考え方である。 そこにはその考え方になじめない人間の排除も含まれている。 それが端的に現れているのがKYという言葉である。 全体主義が面倒なのは民主主義と誤解されがちなところである。 みんなという多数派の空気が悪くなるので少数派のお前は黙っとけ! これは多数決で勝った多数派が主導権を握るという点では民主主義と同じだが、 多数派が多数派の為に少数派に命令している点で異なる。 多数派は少数派の「空気読めない」状態を多少なりとも許容する気がないのである。 「おまえってほんとKYだよな~」 には 「空気読めよ。馬鹿が。」 程度の意味で、そこには非難の意味しかない。 ただし程度問題であるのでKYという状況全部が駄目というわけではない。 それにしても個人主義と呼ばれる現在の若者が 昔の日本における村社会のしきたりのようなものを持っているというのは、 興味深い。 PR ![]()
無題
>Kuuki
Kuki
無題
それは引用元のはてなの記事を書いた人に言ってください><
無題
KU=空気(Kuuki)・薄い(Usui)
無題
影が薄いんじゃなくて空気が薄いのですか?
富士山頂あたりにでも逃亡している可能性がありますね ![]() |
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パパ
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男性
誕生日:
1981/10/11
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ネットワークエンジニア(のはず)
自己紹介:
すみませんが、mixiの方を見てください。
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