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あまり空気を読まずに書いております。 そこを理解して読んでいただけると助かります。
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戯音の耳はロバの耳ぃより

私にはイジメという単語はインプットされていません。
やわらかい表現に聞こえてしまうからです。
あなたがしたことは、恐喝傷害殺人未遂です(
田村由美)

どこかの掲示板で読んだのだが忘れたので適当にぐぐってリンクを張った。

イジメ、もしくはいじめという言葉は
それだけで何をしたかがわかりにくい。

またちょっとした嫌がらせから自殺に追い込むものまで
扱う行為に大きな幅があることも特徴である。

そのあいまいさと良く使われるのが学校という場(子供がすること)であることから
恐喝などの具体的な行為に比べてやわらかいイメージがある。

この効果の恩恵を得るのは加害者である。
被害者にはなんの得もない。

例えば
「いじめられる側にも問題がある」という意見がある。
それは上述の幅の軽いものを想定している
(その発言をする人物は少なくともそういう意図で話している)。
しかし「恐喝(または、傷害、殺人未遂)される方にも問題がある」と
行為を具体化すると被害者の落ち度は限りなく小さい印象になる。

結論:印象操作はだいじ
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友人にそう問われたので回答すると

ある出来事があったときの素直な気持ちは、大抵の人間が同様だから

フラれれば「悲しい(´;ω;`)ウッ…」だし、
年度の初めは「がんばろう(`・ω・´)シャキーン」だし、
理不尽なものにぶつかれば「ムカつく(#^ω^)ビキビキ」だし、
何か集団でするイベントがあれば「楽しかったー(´∀`*)ウフフ」だし、
・・・・・(以下省略)

「いや、だからね、そういうのばっかりじゃないのよ、
年度の初め頑張ろうって思ってたけど▲▲なことがあって欝だったとかあるもの」
なんて指摘を受けそうなのであらかじめ予防線を張っておくと
それは結局悲しいことがあったので
「悲しかった(´;ω;`)ウッ…」を言いたかったに他ならない。

このように考えるようになったきっかけは
面接の達人2008自己分析/エントリーシート編である。

この本にはエントリーシートが載せられており、
筆者がその添削をすると言ったものだ。

そこにNHK志望の人間が
エントリーシートにNHKの福祉の番組を見た感想を書いていたが
筆者が「その番組を見たほとんどの人が感じるようなことを書いている」
と指摘していた。

何百何千も同じような文章を読ませられる
人間の気持ちになってほしいとも書いてあった。

上記の文章を読んだ人の一部から「人格否定をされた!!氏ね!!」
とか言われないための予防線:

しかし、blogをmixiのような
コミュニケーションツールとして利用するならば
その限りではない。

コミュニケーションツールは文字通りコミュニケーションをとるためのツールなので
気持ちの共有という方向に向くのは当然のことである。
13才のハローワークに興味深い記事があった。

地球にやさしい、環境にやさしいという言葉は
他の生物や、地球の生態系の為に行われているように錯覚しがちだが
実際は異なると言ったものだ。

高濃度の酸性雨が降ろうと、
温暖化により南極の氷が溶け海面が上昇しようと
地球上の資源が枯渇し地上がごみ溜めになろうと
核戦争が起こり、地球が核の炎に包まれようが、
死滅する生物はいるだろうが、生き残る生物は存在する。

リサイクルだのハイブリッドカーだの、フロンを使用しないことは
他の生物や、地球の生態系のために行っているのではない。
それらは全て人類が人類のために行っているに過ぎない

ここまでが上記の内容だが
さらに言えば企業がやっきになって環境保全の取り組みを行うことには
企業イメージを向上させ商品を買ってもらうという狙いがある。

「環境にやさしい」という謳い文句があればそれだけで
購入に踏み切る者は確実に存在する。
その本質を考えることなく。

このような「よい言葉」は他に以下のようなものが存在する。
  • 自分らしく
  • コミュニケーション能力
  • マイナスイオン
  • 自分たちと同じ目線
一昨日の話だが今年度の研究計画を先生に出したら却下された。
理由を端的に言うと博打だったから。

この「博打」とは成功する可能性が低いことを言っているわけではない。
成功すればよいが、失敗したらそれまでの努力が水泡に帰すことを意味する。

世の中の多くの研究は既存研究を発展させるという内容である。
発展とは高速化であったり、省メモリ化であったりする。
それは今まで遊んでいた回路に着目したりだとか、
今まで固定だったパラメータをトレードオフを
考えて最適値になるよう自動調整するようにしたりとかである。

これらはたとえ当初の目論見が外れても
それまでに得た理解や知識から
ある程度柔軟に「ごまかす」ことが可能である。

それに対して私の行おうとする研究はある一つの答を見つけ出すことである。
その答えが見つかれば万々歳。
見つからなければそれまで遊んでいたことになる。

これの成功はかなりの学術的価値、注目されると予測しているが、
そのメリットがあってもなお、
 博打をはることは 主にリスク管理の観点から許されない。

納得。
私の周りに限ったことではないとは思うが
博士後期過程に進学するというと「やめたほうがいいよ」と返してくれる。
理由を列挙すると
とくに最後は深刻で単位取得退学となると路頭に迷うことになる。

これらのリスクを承知の上で博士に行く覚悟を決めた時期もあった。
ただしそれは就職活動までに、
研究であらかじめ定めた成果をあげることが条件であったが
どうやら時間切れのようだ。
(まあ、アルゴリズム考案から査読に通すレベルの文章を書くまで2.5ヶ月程度だったのでそもそも無謀だったが)

勝つ根拠が用意できていない博打をはることは
そもそも博士に必要な合理性を備えていないと同義
ので
大人しく就職することにする。


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すみませんが、mixiの方を見てください。
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